1)関節リウマチとエコー

関節リウマチの活動性の評価としてエコー評価の有効性がいわれております。

関節エコーの研究会では、評価部位と治療への架け橋になるとの意見があげられておりました採血やエコー評価により実際の病態の評価と治療がより向上します。目標は日常生活動作の向上です。なので、有効性と副作用、活動性の天秤を上手く選択していくことが有用です。依然と比べて評価手段や治療手段が増えており、可能な限り介護に移行しない、または介護度をあげないように工夫していきたいものです。

2)乃木希典と関節リウマチ

会場近くに、乃木希典の旧居跡がありました。

「わが身は常に兵士とともにある」との言もあり、名将といわれております。太平洋戦争の否定的な作家からの批判もありますが、本当のところは現場にいたわけではないので、安易な批判はしないようにしています。日露戦争の英雄として講演を求められた際に、自分の子供も戦争で亡くなったことは触れず、皆さんの兄弟を亡くしてしまったと涙を流し絶句していたとの話もあり、その時その時で最善の戦略をとろうとしていたのではないでしょうか。

亡くなる直前の数年間、彼の体はボロボロだったようで、老眼や失明、体の銃創、関節リウマチの罹患もあり、まさに満身創痍だったようです。

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下記wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8
 

3)「日露戦争の英雄」

また、下の様な紹介しているサイトもありました。

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31013274.html

最初は監視されていると思って緊張していた兵士達も、乃木が自分達とあえて困苦をともにしようとしているのだと気づき、感激しない者はなかったといいます。この第十一師団こそ、のちの日露戦争の旅順戦で乃木司令官の下、勇猛果敢に戦った師団の一つです。

「わが身は常に兵士とともにある」

乃木の指揮官としての姿は日本人が最も愛する名将の姿そのものであったといえます。

日露戦争後、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は金子堅太郎子爵に「旅順砲台は今日世界の学術機械を応用した堅牢無比の砲台で、ヨーロッパやアメリカの軍隊ではこれを陥れることは思いもよらぬ。この難攻不落の旅順を陥れるのは世界でも日本の兵隊のみである」と言わしめたのです。

その難攻不落の旅順を落とした乃木大将が「日露戦争の英雄」として、長野師範学校で講演を求められた時のことです。

乃木大将は演壇には登らず、その場に立ったまま、「私は諸君の兄弟を多く殺した乃木であります」と、ひとこと言ってから絶句し、止めどもなく流れる涙を、延々と流しました。

これを見た生徒と教師らも、ともに涙を流し、慟哭したといいます。

乃木大将自身、息子二人も戦争で亡くしていましたが、それには一切触れず、少しも己の功を誇ることなく、多くの将兵を死なせた責任を痛感して慟哭する乃木の姿に人々は感動したのです。